けやきのからだ。

AD/HD 手帳は二級。23さい

生きてこられてよかった。

何気ない日常をありがたいと思いなさいという言葉が苦手だ。
何気ない日常は何気ない日常であってほしい。
当たり前に起きて、当たり前に食べて、当たり前に眠って、
当たり前に生きていきたい。

「あぁ今日は風が肌に痛い」とか、

「あぁこの踊りは涙が出るなぁ」とか、

「あぁこんなことがあるのなら長く生きてみたいなぁ」とか、

そんなことがあるから、
当たり前な日常が、当たり前でなくなる。

どこに何気ない一日があるのだろうと、
今日こそ何気ない一日にしてみせようと、
そう探し思うのだけれど、
「あぁ今日は天気が良くて気持ちがいいなぁ」とか、「将来はこんな人と一緒にいたいなぁ」とか、
何気ない想いに邪魔されて、何気ない一日がなくなっていく。

それらを全て総括したものが何気ない日常というのなら、
わたしの思い描くものとは少し違う。

生きていてよかった、と思わない、未来があってほしい。
このご飯は特別に美味しい、と思わずに、食したい。
全くの無意識で、恵まれていたい。
そして、当たり前に傷ついて、当たり前に悲しんで、当たり前に生きていきたい。

だけど、わたしは「生きてこられてよかった」のだ。
それは当たり前になんて、生きてこられなかった証である。

多分一生、わたしは当たり前になんか生きていけない。
そして幸せを感じたり、感謝をしたりしながら生きていくのだろう。

遠慮しないで考えてみたい。

せっかく生まれてきたのに、毎日体調が悪くて、それを凌ぐ毎日に疲れた。

なにかをしたいと思っても、「体の調子が悪いから」と、諦めた。
気づいたら何もしたくなくなっていた。
体調が悪いことや、発達障害の生きづらさを、なんとかして凌いだ。

オーバードーズは何も考えたくないという願望を叶える手段だった。
今でも精神科で1ヶ月分の薬を処方してもらうと、脳裏に
「全部飲みたい、、、」
という気持ちがよぎる。
それは、今が積み重ねてきたオーバードーズの癖を、治している途中だからだ。

生活を凌ぐ前に、わたしは何か目標を持ってみたかった。
「わたしは本当は何になりたかったか。」

ADHDとか、10年繰り返した自傷や服薬で体に負担がかかっているとか、毎月の生理が重いとか、
全部なかったとして、
そうしたら、何になりたかったか。

遠慮しないで考えたことが、ずっと長いことなかった。

それに気づいたとて、何も変わらないのだけれど、
わたしの心が少しだけ正常に戻っていくような気がした。

本当は何をしたいのか、わたしの心は何を求めているのか、わたしの体は何を欲しているのか、
それを想像することができるのは、とても幸せなのである。

それは想像力があるということだから。
わたしの想像力は無限にひろがっているという証明だからだ。

所詮現実ではないけれど、所詮想像でしかないけれど、
単純にそれは楽しい。
心を遊ばせて、頭でワクワクして、そんな時間が人生に彩りをくれる気がする。

だけど少しだけ悲しい。
現実だったならどれだけ良かっただろうとか、一目散にそこに向かえただろうかとか。

だけどわたしには、諦めてきたことが沢山ある。絶望したことも沢山ある。
だから想像だっていいのだ。

本当は小さな幸せに喜びを感じられる自分でありたくなかったのだけれど、
今は、小さな幸せに喜びを感じざるを得ないなら、感じたっていいや。

若いからとか、バカだからとか、正論とか。

ミスをした時、
「これからは気をつけます」
と言いながら、
これからも気をつけられないのをわかっている。

守れないものを、どうして守らないといけないのだろう。
どうして、守れないことを理解されないのだろう。

わたしが泣いたのは、一回ミスしたからじゃない。
沢山のミスを積み重ねてきたからだ。
その自信を失ってきた過去を、わかってもらえなかったからだ。

どうしてわたしは、人に期待されなきゃ生きてこれなかったの?
大丈夫だって言われても、大丈夫だと思えないのは、どうしてなの?
大丈夫だという前に、それを教えてほしいと思うのは、我儘なの?

そんな疑問がわたしを覆って、自分自身が見えなくなる。
不安は未来からやってくる。

ADHDという障害にすがって、精神障害という病気に成って、生きなくてはならなくしたのは自分自身だ。
それなのに助けを求めては、自己主張して、特権意識を振りかざして、絶望する。

あなたは、わたしに何を感じ考えている。
見捨ててくれないのはどうして。
人の気持ちなんかわからないと断定しているわたしに、
人の気持ちが分かると言うあなたは、
わたしの絶対という言葉に、「絶対なんかない」という言葉で返す。

うるさい。
うるさい。
うるさい。

わたしはもう数年前から、
若いからとか、バカだからとか、正論だからとか、
そんな単純な盾にしがみつきたくないんだ。

自慢の異性は。

今日は一日中暑かった。

雨の日よりも、活動的に過ごすことができた。
今日わたしはふと、犬の散歩の帰り道に「考えなしは純粋の始まりだ」と、確信した。
それはずっと憶測でしかなかった。

わたしには自慢の異性の友人がいる。
だけどわたしは最近、彼が自慢できる彼でいるために一つ突破しなければならない条件があることを知ってしまった。

彼は優しいのに、その優しさが意地悪な程に強引なものだと感じてしまったからだ。
魅力的な彼が自慢するほど好きだったわたしにとって、そう感じたことは大問題だった。

しかし彼の強引さを受け入れることが、彼に完璧でいてもらう条件だとわたしは気づいているのに、
彼はそれについて否定することも肯定することもなく、ただありのまま、余裕でそこにいるのである。
自分の素晴らしさが本物かどうかなんて関係のないことらしい。

彼にとっては、強引さや自分勝手さを受け入れられることが一番必要で、人間関係の始まりなのである。

彼はそれを受け入れる人が好きで、わたしだって受け入れなくちゃ、関わってさえも、もらえない。
そう考えてみると彼は格好が悪く、素晴らしくもなく、わがままな人だと思った。

だけど彼のそんなところは、時々誰よりも頼りになって、誰よりも喜びをくれて、誰よりも救いになってくれる。

だからそうやって身を守るわたしが一番わがままだと思いながら、わたしは彼に「そのままでいてほしい」と決めた。
彼のことを受け入れる選択肢しかないのであれば、彼のことを受け入れようと。

わたしは彼から逃げることができない。
彼が優しくしてくれないことが悔しいから。

わたしは彼を忘れることができない。
彼を受け入れさえすれば、優しさや、誰といるより楽しく幸せな時間や、一人では思いつかないような未来だってあるような気がするからだ。

彼といると人の魅力なんてどうでもよくて、自分にとって都合のいい人が手放したくない人なのだと、思い知らされる。
そんな彼はずるさとは正反対にいるような気がする。

そもそも彼はそれを認識していないような気もする。
そんな自分のずるさを、ずるいと思わない鈍感さが、考えない純粋さが、彼の繊細さの一番初めにはあるような気がする。

だから彼は誰よりも繊細でいられているのだと思う。
だから彼の繊細さは守られてきたのだと思う。

人生が悲しい。

わたしは人生が悲しい。
鎖に繋がれたように、ずっとずっと女でいなくてはいけないから。

わたしはあなたの笑顔に癒された。

死にたいと思っていたとき、
あなたの笑顔に癒されて、あなたの笑顔を好きになった。

あなたは、わたしが女だから、好きになった。
あなたはわたしのしたたかさが好きだと言った。

だから、わたしはずっと女でいなくてはいけなくて今、それが悲しい。
あなたとの関係が悲しいのではない。

例えば、わたしはお金を生めるほどの女でいないといけない、そんな人生が悲しい。

「わたしを今から入院させて!」

中学一年生のときに、わたしははじめて自傷行為をした。
理由は、自分や人の汚い気持ちに耐えられなかったからだ。
本当は人間のズルさや理不尽さに耐えられないのに、余裕の顔をするのが苦しかった。

汚いと感じながら人を受け入れたり、正義感を持ちながら友達の悪口を言ったり、
先生を先生でしかないと思いながら先生の仕事感を感じるのが辛かった。

それを誰にも言えなくて、寮ではじめてリストカットした。
それは人につらさを伝えるためのものだったから、誰かが傷を見て察してくれたりしないかなって漠然と思っていた。

正しいものしか受け付けられない潔癖だったわたしは、担任の先生と些細なことで喧嘩して、先生の

「けやきさんみたいな生徒はこの学校にはいりません」

という言葉で自主退学した。
両親や副担任の先生は担任の先生を責めていたけど、わたしは先生にそこまでの言葉を言わせてしまったと、悲しいながらも反省していた。

香川県で寮生活をしていたから、実家に戻った。とりあえず近くの公立中学校に籍をおいたけれど、授業のペースも合わないし、うるさいし、生徒は猿に、先生は動物園の飼育員さんにしか見えなくなって、行かなくなった。

それから引きこもりをはじめたけれど、暇さえあれば自殺の方法を調べて自傷をして、死にたいって朝から晩まで考えて、考え疲れて寝るのを繰り返した。元気な時は部屋中の紙をビリビリに破いて敷き詰めたり意味のわからないこともしていた。

その時は自分にぴったりな場所が分からなくて、ないんじゃないかって不安で、死ぬしかないと思ってた。

自分は誤解しかされていない気がした。

ある時ほとんど偶然、ある教育機関の先生から声をかけてもらって、仙台に行った。とりあえずいる人は猿に見えなかったし、飼育員さんみたいな人もいなかった。
そこでわたしははじめて、頭が楽しい感覚を知った。
いろいろなことを考えることがとても楽しかったのだ。

だけど精神が本格的におかしくなってきていて、いきなり塞ぎ込んだり元気になったりした。

歩けなくなったり失声症になったりもした。その頃からADHDらしく興味本位で動くミキサーに指をつっこんで夜間に病院に連れて行かれたりしていた。
仙台の教育機関での学びは、いまでもわたしの芯になっていると思う。学びとは何か、どのように生きるべきか、そんなことをずっと考えていられる場所だったからだ。
だけど病的なところは治らなかった。神経症のようなところが周りにも気を使わせていた。不安定になってそろってご飯を食べられず大泣きしたり、いきなり家出のようなことをしたりして迷惑をかけていたけど、自分では止められず、どうしようもなかった。
仙台から戻って、わたしは余計に不安定になった。リストカットをしない日が珍しかった。ODをして、何度も救急車で運ばれた。一回体のものが全部出る段階までいった。
今でも手が震えたり言葉がうまく出なかったりする。心臓にもかなりの負担がかかったのか、いつも注意しないと苦しい。
病院に運ばれてもまだ首吊りもリストカットもODもやめなかった。

早く死にたい。
生きていく自信がなかった。わたしは人みたいに生きていけない。

生きていると傷つくし、人とペースも合わない気がした。人と分かり合えている感覚を持つことがなくて、孤独でいっぱいだった。話す言葉も人に分かってもらえるように妥協して話していた。会話では相手のいってほしいことを言うために本音を言うのは諦めていた。
誰も話が通じないし、どうせ分からないし、人に諦めてばかりだし。
それで生きていっても何がいいのかわからなかった。だから死のうって思っていた。


でもどこかで、生きたい気持ちが捨てきれなくて、どんどんおかしくなった。包丁をもってお部屋を歩いている時、妹が怖がったのを見て、その夜お父さんとお母さんに、泣き叫びながら
わたしを今から入院させて!
と、言った。

まっとう。

不安で気持ちがざわざわと震えている。
手足はいつもより冷たい。

今わたしは、「いつから自分は変わってしまったんだろう」と、少し、昔を思い出している。

幼い頃から、
友達を大切にしなさい、
四季を感じなさい、
人の気持ちを考えなさい、
挨拶をきちんとしなさい、
人としてまっとうでありなさい、
とずっと言われてきたはずだ。

こんな今日を迎えるようにしたのは、いつのわたしだろう。
今日のこんな芽は、産まれた時にはなかった。

わざわざ目指した夢でもなかった。

だけどわたしはどこかで巻き込まれたのだと思う。

人としてまっとうな道を歩みなさい、と言われてきたのに、いつの間にかそれがどれなのか分からない。

わたしには見えていない道なのだと探している。
時々自分の道が、正当化と自己防衛でしかないのではないかと不安に駆られる。

ふと死にたいと思う時、わたしはいつも、まっとうな道とはなんだったのかとよぎる。

まっとうな道は、きっとわたしを守ってくれる道なのだ。
教えられたまっとうな道という言葉は、どんなわたしへの愛が込められた道だったのだろう。

その気持ちが汲めないことと、その期待を感じられないことが、ただ苦しい。

わたしは、わたしの道を歩くのではなく、まっとうな道を歩いていたい。
まっとうな道の上に自分がいてほしい。

だけど合っているか、間違っているかを誰に判断してもらうことも出来ない。

頼ってといいながら頼られたら困るあなたが分かる。
だからわたしは、全てのものから自分で自分を守ろうと思った。

そして自分を傷つけるものであっても、
命のないものでも、目に見えないものでも

「愛することは、誰相手にも何相手にも出来る」

と気づいた。

愛さなければ、悪意に傷ついてしまう。

悪い企みに悲しんでしまう。
愛さなければ、自分を守ることができない、、。

今どんな道の中にいるか、わたしは分からない。

けれど自分が自分でいる為に、どんなものでも愛さなければ生きてこられなかった。