けやきのからだ。

AD/HD 手帳は二級。23さい

死にたいという言葉に、安心してほしい。

死にたいということは生きたいということだと、よく言われる。
死にたいということは本当は死にたくないんだと、よく言われる。

死にたいということは、本当に死にたいのに、
死にたいということは、本当に本当に死にたいのに。

今まで私は、「死にたい」とよく口にしてきた。
しかし、「本当は生きたい」、「本当は死にたくない」という気持ちで、今まで生きてきたわけではない。

本当は死にたくないという言葉は、死にたいという感情に対して、
あまりに否定的で、あまりに残酷で、あまりに先回りしすぎている。

「先回りしすぎている」というのは、死にたいという言葉の大半が、
「生きたい」という感情に基づいた言葉だからである。

その先回りは、感情に対して不必要なものである。
心の中で思っていればいいものである。
けれど、自分を守るために、「死にたい」という、ある種びっくりする言葉に対して、
「本当は生きたい」んだとか「本当は死にたくないんだ」と、つい言ってしまう。
死にたいという言葉に、弱気になってしまう。

死にたいということは、確かに大抵が、生きたいということだから、死にたくないということだから、どうか、
どうか安心してほしい。