けやきのからだ。

AD/HD 手帳は二級。23さい

堂々と巡る未熟さ。

人のこころなんて、清くなんてない。
変化は、いつも清くなどないのだ。

説明を早々に終わらせて、
わたしと離れ自分の生活に戻る間際に見る表情に、
人のこころなんか清くないんだなぁ、、
と思うわたしは、自分勝手だ。

変化することを、「自分が劣っているから変わるしかないんだろう」と思ってばかりで、
「成長」などという前向きな言葉に出来ない。

変わる気分や態度に人の清らかさとは所詮、
人の美しさとは、所詮、
そのときの環境や生活や気分や余裕の象徴に留まると知った。

何故、十人十色とか人それぞれなんて言葉があるのかと、疲れきってしまうまで考えていたくなったり、
なにかと出会っても、何処を見て何を感じたらいいか迷って一人になりたくなる。

過ぎた言葉や親切に、一喜一憂だと知らずに、
それでも救われたわたしがいたから、人間の変化に覚悟がないと不信感を感じる。

変わらないで言葉を発し、動き、人と関わる人がいたなら信じられるかもしれない。
例えばその人が怖い人で、
その人が人殺しで、その人が詐欺師で、その人が誰にも言えない闇の中にいたとしても、その人をわたしは、信じることが出来るかもしれない。

たとえば青空があって
それが真っ青で
笑顔があって
それが暖かくて
太陽があって
それが人を美しく輝かせていたとして
心地よいことは、
その時限りの偶然で、

また雨空で
引きつった笑顔で笑われて、
太陽は雲にかくれて、
そこから逃げ出したくなる現実は同じだ。

生活が愛に満ち溢れていなくとも、道徳性に欠けていても、どうでもいい。

目の前で変化するそのものを喜んでもらおうと覚悟したとしても、
変化は目まぐるしくて、
生活は全て説明出来ずに終わる。

自分のことを見つめることに純粋を見いだせば、堂々と巡って、
説明を早々に終わらせて、わたしと離れ自分の生活に戻る間際に見る表情に、
人のこころなんか清くないんだなぁ、、
とまた思う。

見える全ては一部でしかなく、
その全ては途中でしかないということを、まだ知らないからだろうか。