けやきのからだ。

AD/HD 手帳は二級。23さい

制服を着られなかった。

ひとりが寂しくて、わたしはわたしの思春期の説明をはじめた。

そのまま言葉にしたら足らず、誤解もされたくない思春期だった。

人に説明するために、どうでもよかったことをわざわざ言葉にした。
たとえば制服をきられなかったこと。
学校へ行って、漫画みたいな青春を過ごしてみたかったこと。

本当は、どうでもよかった。
制服も、思春期の形も。

腫れ物のように扱われることには慣れていたし、気を使われることに申し訳ないとは思わなかった。

今わたしは建前を話しながら、わたしの時間を説明している。

わかりやすい、制服をきられなかった、という言葉で。

声に出さなければ、わたしはずっとひとりのまま空白の時間を、ただ大切にするしかなかっただろう。

正確に説明しようとすればするほどだれの心にも届かなかった。

それはすごく寂しくて、
わたしの空白の時間を正しく説明して、正しく理解されなくてもいいんじゃないか、と思う程だった。

制服をきたかったとか学校で部活をしてみたかったとか
そういう風に言葉を変えたらわたしの時間を会話にしても辛くないと気づいた。
それは理解してもらえたからだ。

正しくなどなくても、私は正しくないことを分かっている。
ひとりで抱えているからと、本当にひとりにされることもない。

自分が分かっているならば、話言葉で間違っていてもいいと思えた。
いつもの会話も、正確でなんかないのに、あの空白の時間が特別だから、これほど説明と理解の正しさを求めているのだ。

制服をきられなかったという一言は、わたしの過去を歪ませた。

はじめは自身を侮辱しているように思えた。
けれど今は

制服を着られなかった

と、少し心を込めて言えるようになった。

正しいことはわたしの中にあり、試行錯誤した創りものの中にあればいい。
そして、人との会話だけに執着しなくたっていいのだから。